2009年5月15日 (金)

南国鹿児島の物産と観光展

13日から19日まで大丸神戸店で開かれている「南国鹿児島の物産と観光展」に行ってきましたnote
お目当ては、、、、、もちろん「フェスティバロ」さんhappy01
今回は「HARUKA」は販売されていませんがスィートポテトでお目見えしています。
Sweet 

レアケーキタイプとはまたちょっと違う唐芋の
味が3種類楽しめますheart01

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2006年8月 6日 (日)

神戸大空襲と敗戦

8月15日が近続くと思い出します、あの戦争の辛い思い出を、1945年には神戸の空にも米空軍の攻撃が増し、大倉山高射砲台からも応戦し少しは敵機を墜落させましたが、次から次に飛来し戦火がひどくなり、住民の田舎に疎開が始まりました。疎開しない人のために道路に防空壕が掘られ、空襲警報の度に防空壕に非難しなければならず、ある寒い朝空襲警報が発令された時、妹は風邪で発熱して、私は眠いし、寒いものですから布団の中から起きたくない、妹と二人が死んでもいいから防空壕に入るのは嫌やだと母親を困らせた思い出があります。その度に警防団の団長さんから早く防空壕に入る様、再三にわたり警告があり、親父は爆弾が直撃されれば、家の中も防空壕の中も同じだといって、団長さんの警告を無視して子供の気持ちを尊重し家の布団で警報解除を待ちました、それに味を占めた私達はその後の警戒警報にも防空壕に入らなかった為に、団長さんと旨く行かなかった事もあり、戦火がひどくなった、1945.3.15日母親の実家である三木市に疎開しました。その二日後に1945.3.17神戸大空襲です。親父が大八車に生活必需品を積んで神戸から15時間掛けてやってきたのが16日の夜でした。Icon06 その後、終戦まで疎開生活がはじまります、物不足の中で私達兄弟の胃袋を満たす為に母親が箪笥の引き出しから自分の着物を出して百姓家へ行き、食料と変える日々が続きました。其のうち変える物が無くなって来た、そんな夏の暑い日でした。隣保長さんの家の前に大人たちがラジオから流れる放送に頭を垂れ、泣いているのを不思議な思いで見ていたことを覚えています。後から母親に日本が戦争に負けた事を知らされました。子供心に これで、やっと神戸に帰れる、家族揃って疎開前の生活に戻れ、旨い物が食える。ヤッタ― 心の中で叫びました。翌年の四月(国民学校改め)小学校入学です、校舎は被災のまま、二部授業ところどころ黒く塗りつぶしたわら半紙の教科書、それでも学校に行ける喜びに満ちて、食糧難のヤセポッチの子供達ですが、みな元気に通っていました。今年も終戦記念日がきます、二度とあの時の苦い思いを子供達にさせないことを願っています。(終戦当時6歳) 大下幸夫

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2006年7月16日 (日)

震災モニュメント交流に懐かしい長老柏木さん参加

震災モニュメント交流に懐かしい長老柏木さん参加

震災モニュメント交流に懐かしい長老柏木さん参加

お元気そうで何よりです

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2006年7月12日 (水)

偶然?それとも・・・・

200607111433000 昨日は、以前のひまわり観察日記に書いていた
CBCテレビさんの取材がありました。
しかも、夕方まで・・・・・
家に帰ったらしっかりと日焼けしてました・・・・(涙)
で、その取材の中で東遊園地の慰霊と復興のモニュメントに
いったのですが・・・・
偶然なのかそれとも計画的なのか・・・なぜかひまわりの花が1本ずつ
供えられていました・・・・・
以前は、汚されるということもありましたが今回は名前も知らない誰かが
花を手向けていってくてました。あまりにも、偶然過ぎたので200607111639000
テレビ局の人が仕込んでたのでは?とも想いましたが
それよりも、花を手向けてくださった方に感謝です。
名前も知らないですが「ありがとうございます」。

(記・加藤 いつか)

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2006年7月 5日 (水)

瞑想の空間汚される

瞑想の空間汚される

つい最近瞑想の空間が汚されているのをたまたまモニュメントを訪れて発見。煙草の吸い殻、ペットボトル、カップ麺のからなどがほったらかしなったまま。大切な場所の認識がないのを見るにつけ本当に悲しくなる。(白木)

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2006年6月20日 (火)

穏やかな理事長

穏やかな理事長
どうしたわけか?穏やか?」

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